▶︎特集「受験」
今週から、青春基地は「受験」特集はじめてみます。
中高時代では、なにより気がかりなこのテーマ。不安の渦を巻き起こす「受験」という不思議な試練を、いろんな角度から見てみたいと思います。今日からは、青春基地の大学生スタッフによるエッセイを連続して届けます。
| 孤独との戦い方について
受験は、異常事態だと思う。
当時は、今よりずっと世界がせまかった。今よりずっと物事を白か黒にしっかりと区別できた。だから、歴然と「勝ち」と「負け」の決着がつく受験は、「負ければ、人生が終わる」それくらいの存在だった。
しかも決着をつけるのは、これまた恐ろしく、自分ではなくて「見えない誰か」だった。そういう感覚だった。
怖かったのだと思う。受験は、自分の未来のための勝負なんだって、言葉ではわかっているし、意志ではわかっているけれど、怖かった。
自分のことを見たこともない、話したこともない相手が、私のことなど理解できるわけがないじゃないか、と思っていた。「見えない誰か」に評価されることは、自分の人生を外野から眺めているような気持ちにさせて、たまらなく嫌だった。
いろんな境遇、いろんな不安、いろんな葛藤が重なって、この気持ちは加速した。誰にも分かってもらえないと思っていた。でも、この違和感は正しいと思っていた。
だから第一志望校・慶應大学総合政策学部のAO入試・一期目に挑戦していた自分は、丁寧に伝えようとすることよりも、自分の違和感に忠実であろうとした。指針を変えることなく、ただ苦しんでいたら、やっぱり落ちた。
その気持ちは、よく分かる。評価されることや、受験の構造——とくに一般入試、の違和感は、今も抱いている。なにより、あなたには受験では現しきれない姿がたくさんあるのだと思う。
でもね、「独りよがり」は、前に進む力にはならないよ。まだ始まったばかりの、今ここに止まっていて、あなたは本当に満足できるのか?
そう、18歳の自分に言いたい。
『—その批判は正しいと思うが、これが現実なのだ。だとすれば「そんなものは、慣れてしまえばいいではないか」と私は思う。せいぜい「慣れ」のレベルであって、人格などの問題ではない。…「二十歳過ぎたら、慣れも実力のうちなんだよ。」』
これは劇作家の平田オリザさんの『分かりあえないことから』にある言葉だ。なんだ、「慣れ」なのか。心底ほっとする自分がいた。前に進める気がした。
孤独は二つあると思う。
一つは、この気持ちは誰にも分からないだろうと、共感を求める「自分の声」。もう一つは、どんな時も、いくつになっても、自分のことを決めるのは、自分しかいないという「事実」だ。明日は何時に起きるのか、今日はどこまで達成するか、どのくらい本気を出すか、決めるのは自分しかいない。
敵はいつも自分で、それは自分にしか倒せない。独りよがりは消えても、孤独は生きている限りいなくなることは、ない。こりゃ、大変だけど。
先日、平田オリザさんの演劇を観にいったら、アフタートークで「解像度を上げろ」と言っていた。
AO入試に取り組んでいたとき、違和感から軽快に過ぎゆく友人たちの器用さに、ずっと、置いてきぼりにされていた気持ちだった。でも、その一つ一つの違和感、自分に対しても、誰かに対しても、白と黒の間にある感情に耳をすますことは、「解像度を上げる」力だそうだ。
慣れも実力だけど、違和感にも意味があったよ、と言われた気持ちになった。
さてさて、この文章を友人に見せたら「「慣れる」と器用に生きられる。でも「解像度」を上げるほうがいい。結局どっち? 」と言われた。
行ったり来たり、するしかないんだと思う。慣れてみても残るものは残るし、消えたものはその程度のものだった。やさしくないなあと思ったら、違和感の解像度を上げるし、前進したいと思ったら、大股で歩くのだと思う。
なにより違和感の解像度を上げることと、独りよがりな孤独に向かうことは、始まりは一緒でも、ぜんぜん違う。怖いときこそ、自分の中から、はみだしつづけたいと思う。誰かに伝えたいと思う。
大学4年生 石黒和己
▶︎18歳のわたし
記事とは印象が違ったでしょうか。
パリピ系の高校生でした(笑)
▶︎特集「受験」エッセイ
第一話:わたしの人生、だれのもの?
第二話:孤独との戦い方について
第三話:人生の登竜門
第四話:ぼくの前から消えない境界線
第五話:擦れた受験体験記
第六話:大学受験のその先に
第七話:道しるべにする