取り残されたまち「浪江」とこれから

2016年9月6日

浪江町は津波と放射線の影響で何年間も町がそのまま、残された状態です。テレビで津波の被害があった場所の様子を見たことがあっても放射線の影響を受けた町の様子をみることはあまりないのではないでしょうか?この記事では浪江町の津波の被害を受けてない地域についてお伝えします。
 
浪江町役場から浪江町役場復興推進課・横山さんにバスに乗っていただき、浪江町を紹介していただきました。
 

震災から5年の浪江町へ。

 
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横山さん:
浪江町の様子は思ったよりきれいな街並みだという感想を持つ人も多いそうですが、外側はきれいでも中はネズミや豚の被害でメタメタになっている家も多くあります。また、被災した方々の「弔う場所をまず整備してくれ」という要望に応える形でまずは霊園から整備しています。津波被災地の施設とかネズミの被害があった施設やそのまま残っている施設などは一部3D化を図っています。
 
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学校の体育館等、避難先となった場所は片付けをしないまま町外へ避難しなければならなかったため、中は汚いそうです。そのような場所も3D化を検討しているようです。
 
横山さん:
また、津波などによって出たがれきは環境省が一時的に作った施設で燃やしています。町のところどころにあった除染廃棄物は最終処分されるまで町中に仮置きで積んでいます。
 
住宅街の中に黒い袋が大量に積まれているという風景は違和感があり、震災の悲惨さを物語っていました。
 
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浪江町は現在、居住することはできないのですが、既に事業を再開している会社もありました。
 
横山さん:
この信号の先に材木とか積んであるんですけども、そこは避難指示中だとしても営業を再開したいということで、すでに再開しています。今は合計で20社くらいが営業再開しています。左手のようにだいぶ木材も並んでこれを加工して家の修繕に使っています。
 
会社だけでなく、浪江町では農業も再開し始めているようです。
 
横山さん:
みなさん、浪江でお米がとれているって知ってますか?浪江でとれたお米は、しかも東京大学で食べられています。しかもお酒も作っているですよ。この地域の除染が一番先に終わってとりあえず試験栽培ってことでお米を作って販売やお酒などいろいろと作っていこうという取り組みをしている方がおられます。
 
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浪江町は避難指示が出されていて、許可がないと立ち入りができないため交通可能な道路との境目に警備の方が立っていました。
 
横山さん:
浪江町には帰還困難区域と呼ばれる線量が高い区域があります。その周辺に住む人たちもいざ「自宅に戻れ」って言われてもすぐ隣が帰宅困難区域で戻りにくいといった事情があるようです。
 
バスに乗っていると壁がはがれて家の中が丸見えのボロボロな家が見えました。津波だけでなく地震の被害も大きかったことがよく分かります。
 
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横山さん:
ここは壁がもうきれいに落ちちゃっているんです。なかなかこうやって地震を伝えるものは少ないんですが、それが五年間もずっと放置されています。
 
役場に戻る途中、飲み物を買うため浪江町のローソンに寄りました。
 
lowson
 
横山さん:町の中で唯一再開しているコンビニです。なので12時くらいに行くと十分くらいレジに並びますね。笑
 
参加者:他のコンビニは再開しないんですか?
 
横山さん:以前はファミリーマートやセブンイレブンもありましたが、今はこのローソンだけです。
 
 

浪江の今を教えてください。

 
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最後に浪江町役場で横山さんにいくつか質問をしました。
 

——これから浪江町をどのようにしていきたいという目標や夢はありますか?

 
多分みんなが求めているところは昔ながらの街なんだと思います。たぶんここが新宿になっても違うでしょうし、昔ながらの風景や文化を維持しつつ変わらなきゃいけないところは変えていくしかないんだろうなと。町中の風景とかも結構空虚だったりするのでそれを住民と一緒にやっていかなきゃいけないと思っています。
 

——何が一番大変だったなって思いますか?

 
住民の意見が真逆な意見なとき。それぞれ重要な意見で、目的や至るところは一緒だけど手段が違うだけっていうのも結構あったりするだけに大変ですね。ただ、成果を上げたとかよりも町の人の笑顔とか嬉しいことに結びついたっていうような結果の方が嬉しいですね。
 

——震災前と後で仕事に対する向き合い方は変わりましたか?

 
「自分が今やることが将来どう生きるか」は震災前よりも感じるようになりましたし、今やっていることが将来的にこうなってほしいと思いながら仕事をするようになりましたね。
 

——大変な時ってどうやって元気になるんですか?

 
それはもう、お酒を飲んで、みたいな。笑
でも一番は家族といることで元気になれます。
 
最後に横山さんからひと言いただきました!
 
横山さん:
自分で何かしなきゃ!とかそこまで思う必要はないと思うんですけども、浪江ってこんな状況で今から復興頑張っていくんだって思ってもらって、また浪江に行ってみようかなとか思ってもらえるだけでいいと思っています。今日はありがとうございました!
 
僕は浪江に行くまで全く現在の福島県について知りませんでした。福島に行く企画を知った時、テレビでよく見るがっちりした白い防護服を着て町の中を回るのかなと思っていたのですが、全くそんなことはなく普段の生活と全く変わらない状態で過ごしてとても衝撃を受けました。
今回の福島の旅で、世間に回っている情報量はとても少ないと感じました。東日本大震災を経験した日本人として復興について他人事ではないし、これから自分で情報を集めていきたい。
また、この記事を読んで震災について、福島について興味を持ってくれる人がもっと増えてほしいです!

りっき

秋田好き人間。