震災から5年後の浪江へ、そこで出会った前向きに進み続ける人々。

2016年9月5日

私たちは3月28日と29日の二日間、「3.11から5年後の福島沿岸部で考える。」というテーマで「東日本大震災」のリアルに触れました。
 
ツアー1日目のスタートは朝7時、私たちは東京からバスに乗って福島県浪江町へと向かいました。浪江町は海と山と川に囲まれ自然に恵まれたまちですが、現在は避難指示区域に指定されています。
 

避難する方のために全力を尽くした支倉さん。

 
IMG_5502
 
今回のスタディツアーに添乗員として同行してくれた支倉さんは震災当時、福島市内の会社に勤務していました。
「現実的に受け入れられないほどのすごい揺れでした。地震が起きて外に避難するように放送があり、外に出たらバスを入れるドッグの鉄骨がきしむ音がして、あの音がずっと耳から離れませんでした。」
当事者にしかわからない、生々しい当時の心情です。
普通の地震と違うと確信したのは、バスの中へ避難し見ていたスマホで三陸の方で起きている津波の映像が流れた時でした。その日は晴れ間が雪に変わり、虹が途中見えたりと変わった天気だったと振り返り、「もう地球は終わってしまうのではないかと思った」そうです。
 
IMG_5458
 
自宅に戻っても、途中のガソリンスタンドは行列、コンビニは夕方四時の段階で食べ物や飲み物はほとんどなくなってしまいました。続く余震の恐怖からその日は車の中で夜を過ごす方が非常に多かったそうです。
 
震災直後、福島駅には県外へ避難する人々が殺到しました。しかし限られた燃料と人手が足りないことで一度に出すことのできるバスの台数には限りがありました。結果的にバスの予約もあっという間にいっぱいに。若いお母さんには「この子をとにかく福島から出したい。乗せてくれ。」という風に泣きつかれたことまであったそうです。子供を持つ一人の母親として、気持ちが痛いほどわかり辛い思いをされたのではないかと思います。
 

震災の爪痕残る浪江町へ。

 
波江町につくと早速、浪江町役場職員で復興推進課で働いていらっしゃる横山さんに、「請戸小学校」を案内して頂きました。
請戸小学校は、現在何もなくなってしまった浪江町の中で数少ない形として残っている建物の一つです。震災当時、私たちがニュースや新聞などを通して見ていたものがまさにそこにありました。周りは辺り一面更地で、まるでそこだけ時間が止まっているような違和感を感じます。
 
aya
 
この場所は津波被害の想定エリアだったため避難所にはならず、また避難も早かったため亡くなった方はいませんでした。この時計が止まっている時間は、津波がきて電気供給がなくなった時間、つまり一番大きい津波がきた時間と推測されています。
 
aya3
 
ここは五年間鍵もかけられず、自由に出入りすることができるようになっていたため、黒板には自衛隊や支援者の方々、また地区の方々の「まだまだ頑張るよ」というようなメッセージが書き込まれていきました。黒板は2016年2月に撤去され、今は別のところに大切に保管されています。
黒板いっぱいに書かれた「頑張れ」といったメッセージは、私たちが少しずつ「東日本大震災」から離れていった5年間の間にも、ずっと震災と真正面から向き合い続けた人々が確かにいることを示してくれています。
人々の「負けない」「助けたい」といった思いが積み重なってできた黒板を見て勇気付けられた人々もきっと沢山いるはずです。そう思うと、直接的に支援したりすることはできなくても、誰にでもほんの少しのことでもできることはあったのだと気づきました。
 
aya2
実際の黒板の写真
 
請戸小学校の2階部分は思った以上に綺麗な状態でした。地震の直後は壊れたものや破片が散乱していましたが、役場の方々や自衛隊の方々が捜索拠点とするために整理した様子が伺えます。2階奥のピアノは今でもチューニングしている人がいるらしく、音が出る状態で残されています。
 
aya1
 
小学校の窓から外を見ると5km先には原発事故が起こった第一原子力発電所が見えます。
いつも窓から見えていた日常が、ある日一変したことを知った時、ここに通っていた小学生は一体どんな気持ちだったのでしょう。私には想像がつきません。
 
この請戸小学校を残すかどうか、という問題が現在も残されています。しかし今は議論をする前に、生活再建を行ってほしいと言われるのが目に見えているため小学校跡について議論をするのは控えているそうです。これは同じく被災した宮城や岩手でも問題になっています。これから心情面や心の負担の問題も含めて考えながら、少しずつ丁寧に扱っていくことになると横山さんは教えてくれました。鎮魂とこの震災の爪痕を伝えていくために記念公園とアーカイブ施設が浪江町でも整備される予定です。
 
IMG_5626
 
実際に震災を経験した方から直接お話を伺うことは、当然ではありますが今まで媒体を通して聞いてきたものとはリアリティがまるで違い、震災の悲惨さを痛感させられると同時に考えさせられました。「自分たちが浪江町をどうにかするんだ」と、すぐに前を向いて進み続けているお二人の姿は本当にかっこよかったです。まだその時の状況は思い出したくもないという方々も多いなか、貴重なお話をしてくださった支倉さんと横山さんには心から感謝しています。
 
現地に行くことは難しいかもしれませんが、時間とともに記憶も流されてしまわないよう少しでも多くの方が関心を持ち続け、「知ること」をしてほしいです。

あーや

色々な人に話を聞いたり、知らない所に足を運んだりと、身近にないような初めてのことに挑戦するのが好きです。あと食べることが大好きです。少しでも想定外の未来を作っていけるように頑張ります。