【前編】編集のシゴト-菅付雅信さん- 「届けたい人に届ける、届けたい人に深く届ける」編集術

2016年7月19日

編集者の先輩たちにインタビューをして、「編集」について考えてみる、ちょっと真面目な『編集のシゴト』シリーズ 第二弾は『はじめての編集』を執筆し、多摩美術大学でも講師を務める編集者の大御所・菅付雅信さんにインタビューしてみました。
雑誌、本の編集だけにとどまらず、自身も本を書いている菅付さん。私たちが思う以上に菅付さんの考える「編集」は幅広く、奥が深いものでした。前編では高校時代、編集との出会いに迫ります。
 
後編はこちら>>【後編】編集のシゴト-菅付雅信さん- 編集とは「永遠の山登りのようなもの」
 
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菅付雅信さん
編集者。株式会社グーテンベルクオーケストラ代表取締役。法政大学を中退。大学1年から出版社で編集に携わる。『月刊カドカワ』『ロックンロール・ニューズメーカー』『カット』『エスクァイア日本版』をはじめとする編集部で働いたのち、『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』『リバティーンズ』では、編集長を務める。現在は雑誌、書籍から広告、ウェブ、展覧会、そしてプランニングを手掛ける。著書に『東京の編集』『編集天国』『はじめての編集』『中身化する社会』。新著『物欲なき世界』を2015年11月に出版。
 
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(菅付雅信さんの著書一覧:上段左から「東京の編集」 「編集天国」 「はじめての編集」 下段左から「中身化する社会」「物欲なき世界」)
 

“「いかに学校をさぼるか」ばかり考える落ちこぼれ”な高校時代

 

——菅付さんの高校時代について教えて下さい。

一言で言えば、ダメな高校生でした。高校3年のときは、同学年の成績順では僕の後ろに10人しかいないくらいの落ちこぼれです。宮崎県立宮崎西高等学校という、東村アキコさんの自伝的マンガ『かくかくしかじか』の舞台になっている高校を出ています。

 
編:部活には入っていましたか?
 

いわゆる帰宅部でした。友達と遊んだりとか。とにかく高校が好きではなかったので、授業の時間もずっと喫茶店にいました(笑)。
いかに学校をさぼるか、に頭を使わせていましたね。月曜日から金曜日まで1日1時間でも2時間でも本屋で立ち読みしていたので、とりあえず発売日にほとんどの雑誌には目を通していましたね。

 
編:編集と出会ったのもその頃ですか?
 

編集にいつ出会ったか、といわれるととても難しいですね。でも本や雑誌は小さいころからかなり読んでいました。僕の親父は割と堅い人で、宮崎県庁の公務員だったんですが、親父の強い勧めを受けて、小学生くらいの時から朝日新聞は読んでいて、5年生くらいの時から文芸春秋を読んでいる、そんな小学生でした。

 
編:早い・・・!特に好きな雑誌はありましたか?
 

音楽がすごく好きだったので、音楽雑誌をたくさん読んでいましたね。当時読んでいた音楽雑誌ではその後休刊しちゃった『Jam』とか、今でも続いている『ロッキング・オン』とミュージックマガジン』を愛読してました。それから『ブルータス』や『写楽』が僕が高校一年制の時に創刊されて、両方ともビジュアルがかっこよくて、雑誌っておもしろいなと。それ以来『ブルータス』は欠かさずに買っていますよ。

 

出版のバイトが忙しすぎて、大学中退?

 
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——大学を中退されたと聞きました。

 

法政大学の経済学部に入ったんですが、ほとんど大学にいかなったんです。大学1年の秋から、出版の世界でバイトを始めて、大学2年からほんとにバイトが忙しくて、学校にも行かず、バイトを優先しちゃったんです。大学4年なのに全然単位がとれてなくて、辞めました。

 
編:怖くはありませんでしたか?
 

僕が楽観的な人間だっていうこともあるかもしれないけど、怖くはなかった。編集関係のバイトをとことんやっていて、ほとんどプロと変わらない生活だったから。当時は全然寝てない分、月に最高40万円くらい稼いでいて、まぁ何とかなるだろうと。
最初にバイトに入ったのが宝島社の『宝島』という雑誌で、取材した音声の文字起こしとか、原稿のリライトとかさ。あとは資料集め。そして当時はEメールはないから、原稿や図版の受け取りという仕事でした。
だんだん慣れてきたら、自分で原稿も書くようになったし、大学後半は他社で自分で企画した単行本の編集までやらせてもらっていました。

 
編:バイトなのに!? すごい…
 

雑誌づくりのきっかけは、憧れの雑誌『ロッキングオン』への投稿

 

——出版社でバイトを始めたきっかけについて教えてください。

 

大学1年のときに、ミニコミ誌(マスコミの反対。少数の人に向けてつくった雑誌のこと。今でいうZINE) を作っていたんです。そのミニコミをいくつかの編集部に送ったら、返事がいくつか来て。そのうち1つが『宝島』の当時の編集長の関川誠さんからでした。「よかったら編集部に遊びに来てください」と言ってもらって、その言葉を真に受けて、連絡して編集部に遊びに行ったら、うちでバイトしなよって言われてはじめたバイトでした。

 
編:もともとなぜミニコミをはじめたんですか?
 

僕が昔、高校時代のときに読んでいた『ロッキング・オン』は、いろいろな人の投稿が載っているページがあって、僕はあるレギュラーのライターが書いている原稿に反論を書いて投稿したんです。そしたら掲載されて。その翌月そのライターから再反論が載って、その再反論に対しての違う人の再々反論が掲載されて、という感じに4ヶ月間紙面が盛り上がったんです。それを見た「ロッキング・オン友の会」という読者のサークルから手紙がきて、イベントに誘われたんです。そこで僕の原稿を読んでくれていた会社員の方と出会って、ミニコミをはじめることになりました。

 
編:その人と2人ではじめたんですか?
 

そう、2人で。その後はミニコミやZINEにはよくある話だけど、わずか2号で休刊してしまうんです。三号目を作っている途中に、デザインを託していた美大の学生が原稿や図版と一緒に急に失踪しちゃって、連絡が取れなくなるんです。結局このミニコミはそれで終わってしまいました。

 

届けたい人に届ける、そのための編集。

 
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——ミニコミをつくった経験はその後の編集の仕事に生きてますか?

 

うん、そう思います。あれがあったから、編集の世界にすんなり入ることができました。
自分が高校時代に学校サボって、本屋で雑誌をたくさん立ち読みしていて、当時から買っていた雑誌が『ロッキング・オン』で、そこに投稿したら載って、それを見た人と東京で出会って、一緒にミニコミをやるという不思議な巡り合わせですよね。500部だけの雑誌だったけれど、それを様々な場所に置いてもらって、予想外の反応があって、いろんなものがつながっていると自分では思うんです。

 
編:ミニコミは何部くらい売れましたか?
 

500部作って、300部くらい売れたかな。僕は300部売れたミニコミである意味キャリアが始まっているから、数百部でもちゃんと人のもとに届いて、人を動かすって大事だと思うんですよ。100万人、1000万人に届けようが、まるで人の気持ちが動かないことがいっぱいあるわけですから。
もちろん、たくさんの人に届けるということも大事なんだけど、届けたい人に届ける、届けたい人に深く届けるってことも大事ですよね。「渋谷の街でこういうビルボード出しましたよ、みんな見ますよ」って広告代理店やPR会社の人はよく言うけれど、見てはいるけど誰も気にしてないんだよね。数が多いことが大切なのか、自分たちが届けたい人に確実に届けることが大切なのか。そこをすごく考えることが大事なんじゃないかな。

 
編:じゃあ今はいろんな人の目に止まることが大切なのでしょうか?
 

それも、どういう人に自分の表現、やりたいことを伝えたいか、それ次第だと思う。築地の割烹料理屋さんも、ファストフードの店長も、お互い美味しいものをお客さんに出そうと思っていると思うんだけど、届く数とか、届け方が全然違うように、それは全く考え方が違うということですよ。1日に来る人の数も違うし、値段も違うし、客層も違う。
だから、大事なのは、どういう人にどういう美味しさを伝えるか。つまりは誰がターゲットか、ということですよね。

 

——尊敬する編集者の方はいますか?

 

いっぱいいますよ!上の世代の後藤繁雄さんとか、松岡正剛さんとかもそう。それから幻冬舎の見城徹さんやロッキング・オンの渋谷陽一さんとかね。僕は角川書店時代には見城徹さんの部下でもあったし、後藤繁雄さんとも仕事を一緒にしたこともある。そういった人たちからいっぱい学びました。20代のころにそういった人達と仕事をさせてもらったんだけど、褒められたことはほとんどないですね。

 
編:それでも編集の仕事をやり続けられたのはなぜですか?
 

根拠なき自信ですね。若いころはそういうものが必要なんだと思う。そして悔しさは、かなり強いモチベーションになるんだと思います。何かをすぐに諦めるというのは、あまり悔しい気持ちがないからだと思うんですね。ただ1つ言えるのは、本や雑誌は、昔も今もとんでもなく読んでいるし、昔はとにかく寝ずに仕事していた。一日3時間くらいしか20代の頃は寝ていなかったしね。
でも、どんなに忙しくて疲れていても、映画は観ていたし、コンサートも行っていたし、本も読んでいた。そこでインプットを絶やしちゃうと、アウトプットできなくなってしまう。アウトプットの質を上げる唯一の方法は、インプットの質を上げることなんですよ。それだけは絶やさないようにと意識していますね。

 
後編はこちら>>【後編】編集のシゴト-菅付雅信さん- 編集とは「永遠の山登りのようなもの」

今回の取材を通して、菅付さんの編集との出会いや関わりが素敵だな、と思いました。
私はまだ働いたことがありませんが、菅付さんのように、ひとつひとつのきっかけを良い意味で生かし、好きなことをお仕事にできる大人になりたいです。

さり

同世代にもっと届けられるように頑張りたいです!よろしくお願いします!