慶應義塾大学教授・村井純さん-前編- 「人が夢を膨らませられるように、インターネットで人間の土台を上げていく」

2016年12月28日

みなさんが今使っているインターネットはいつ、どうやって日本にやってきたか知っていますか?日本のインターネットの歴史はこの人と一緒にはじまり、動いてきたと言っても過言ではありません。「インターネットの父」と呼ばれ、慶應義塾大学環境情報学部長を務める村井純さんにインタビューを行いました。
テクノロジーが進化し続け、インターネットとの距離感が近くなった今、村井さんは何を考えているのか迫った前編です。
 

インターネットとの出会い、まだまだコンピューターの周りに人が集まっている時代だった。

 
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–村井さんとコンピューターの出会いはいつですか?
 
村井:大学時代だね。
 
編集:そうなんですね。ちなみに高校時代はどんな学生だったんですか?
 
村井:あまり聞かないほうが良いと思うけどなあ。笑
 
編集:え、なぜですか!
 
村井:参考にならないと思うよ。あえて言うとするならば、真面目なことができない学生だったから。ずっとキャンプに行っていた高校時代だった。大学生になってからもずっとキャンプのリーダーをやって、6月から9月までキャンプで過ごす生活を送っていたんだよ。成績はものすごく悪かったんだ。まぁ、よく言えば野外活動に熱心な学生時代ってことになるかな。
 
編集:当時はコンピューターにも関心を持っていなかったんですか?
 
村井:関心を持っていないというよりも、禁止だよ!電気もないようなところでキャンプもするし、ランプで生活をしていたから。エレキギターすら許されなくてギターは全部アコースティックギターという徹底ぶりだったしね。
 
編集:そんな中でなぜインターネットに興味を持ったんですか?
 
村井:最初のきっかけは大学3年生のとき、ワープロが登場して、無理やりやらされた。当時はコンピューターなんて大嫌いだったんだよ。ギターに電気を入れることだけは許していたけど、コンピューターミュージックすら許していなかった。笑
当時のコンピューターは一台何億円もするもので、コンピューターの周りにはたくさんの人が集まっていた。当時は人間のために役立つことをコンピューターで実現するなんてまだまだ考えられていなかったような時代だったんだよ。
 
編集:コンピューターの周りに人が集まるって私からするとなかなか想像できないです。
 
村井:そうだよね。当時は行列を作っていて、計算の結果が3日後に出てくるようなものだったんだよ。しかも当時はコンピューターをやっている人間が数学にしか興味ないオタクばかりで、人付き合いが苦手、数学の式を解くのが好きな人たちばかりでさ。あの頃のオタクは今よりも突っ張っていたんだよ。
 

俺たちはインターネットで人間の挑戦を支えていく。

 
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村井:だから俺って学生の時からコンピューターってあまり好きじゃないんだ。あくまで人間が中心だろうと思っていた。人間がやりたいことをやる、人間がやりたい夢を実現する、人間が解きたい問題を解く、それがまずは大前提だろう。その上でそれをやりやすくすること、変えていくことがコンピューターやインターネットの役割だ。そうすると人間はもっとやりたいことができるようになる。俺はそのためにインターネットを発展させたい。
 
編集:確かに、まずは人間が何をしたいかですよね。
 
村井:そう。まずは人間が何を実現したいかという目的があって、それを支えるのがインターネットであるべき。その結果、人間はもっといろいろなことに挑戦できるようになって、新しい目的が生まれてくる。だから満足することは一生ないだろうな。
人間が変化する中でそれを支えるテクノロジーが変わることは使命だから。俺たちはインターネットでさりげなく、つつましく人間ができることの土台を上げていくんだよ。少し前まで難しかったことが簡単にできるようになる。それが良いのか、悪いのかはわからない。だけどそれまで使われていた時間は余白となって他のことに使えるようになるんだよ。そうやってこれからも夢が膨らむことの手助けをしていくんだろうな、インターネットは。

さり

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