【特集】5年後のフクシマと、私たち。

2016年9月5日

yoko
 
あと1週間で震災から5年半を迎える東北。
青春基地では2016年3月、ちょうど東日本大震災から5年が経過した福島へ、様々な地域から集まった中高生約20名で向かいました。
原発事故の被害が大きかった浪江町を中心に訪れ、5年前と変わらないもの、5年という月日を経て変わったもの、そして福島の人々の想いを感じてきました。
 
タイトルにある「私たち」。
このなかには今読んでくださっている読者の方々も含まれています。
ぜひこの記事を読んで一緒に福島について感じて、考えてほしいです。
それでは1泊2日の旅、スタートです。
 
 

【1日目】避難指示区域・浪江町へ

 
0
(1)震災から5年後の浪江へ、そこで出会った前に進み続ける人々。(9/5公開)
東日本大震災から丸5年が経過した3月、20名の中高生が福島県浪江町へと向かいました。
そこで目にした光景は何も残っていない更地や、震災の爪痕の残る学校などです。バスのアテンドをしてくれた支倉さん、浪江町を案内してくれた横山さん、震災後も力強く前を向いて歩き続ける2人の話を紹介します。
 
2
(2)取り残されたまち「浪江」とこれから(9/6公開)
浪江町役場復興推進課の横山さんが避難指示が出されている浪江町の現状を説明してくれました。
「何かをしなくてもいい、浪江にまた来たいと思ってくれるだけでいい」そんな復興の日々に向き合う横山さんのお話です。
 
3
(3)あの時何が起きていたのか、今何が起きているのか。原発事故と放射能から読み解くフクシマの過去と現在。(9/7公開)
東日本大震災の記憶の中で印象的なもの、それは津波、そして福島第一原子力発電所ではないでしょうか。
震災と福島とを考える上で避けては通れない原子力発電所の今、そしてその周りに住む人々の生活について浪江町を見た高校生が紹介します。
 

【2日目】南相馬で出会った2人

 
5
(4)震災から復興、そしてその先へ。(9/13公開)
2日目は南相馬市へ。一般社団法人あすびと福島の運営する南相馬ソーラー・アグリパークへと向かいます。
そこで出会ったのは福島の未来を創ろうとする半谷栄寿さんでした。
 
4
(5)震災5年目の小高で気づいた「普通の幸せ」(9/14公開)
南相馬市の南側、小高地区に住む久米静香さん。震災前は普通の主婦だったという久米さん、原子力発電所から20km県内に住んでいたために生活が一変してしまいます。それでも小高に住み続ける思いを伝えてくれました。

事務局・千葉雄登

この記事は高校生ではなく、僕が執筆させていただきました!/青春基地ウェブ運営部ディレクター・慶應義塾大学2年