大切な人を守るためのはじめの1歩、マイプロジェクトで見つけたなりたかった自分

2016年8月8日

こんにちは。高校3年生の高垣友理子です。
 
2011年3月11日皆さんはこの日を覚えていますか?
ほとんどの人の記憶に鮮明に刻まれていることと思います。『東日本大震災』です。
 
2011年3月11日午後2時46分、三陸沖で発生したマグニチュード9.0東北地方太平洋沖地震により引き起こされた大災害です。最大震度7の強い揺れと国内観測史上最大の津波を伴い、東北・関東地方を中心とする広い範囲に甚大な被害をもたらしました。停電や断水、輸送交通網の切断、各地で地盤沈下や液状化現象、家屋の傾斜や断水、路面の地割れなどの被害が出ました。首都圏では、交通機関が運行を停止し、帰宅困難者が多数発生し、最大震度5弱以上の大きな余震もたびたび起きており、土砂崩れや家屋の倒壊、断水などの被害が出ました。
 

小学校の卒業式の日に起きた震災、親友を失うことに。

 
東日本大震災が起きた日、ちょうど私の小学校卒業式の日でした。この日は私にとって忘れられない一日になりました。
私には幼稚園生の頃から仲のいい友達がいました。でもその子は父親の転勤で東北へ引っ越しをしました。お別れのとき、私は泣きわめいて「絶対友達だからね〜!ゆりこのこと忘れんでね!!!」と言って別れたあの時のことを今でも鮮明に覚えています。でも、やっぱり仲が良かったからなのか小1から小6までの6年間、お手紙のやり取りをしていました。
佐賀と東北、距離はとても離れているけれど私にとっては大切な友達。かけがえのない大切な存在でした。
 
小学6年生の卒業式の日。3月11日。ルンルン気分で学校に行き、ランドセルにみんなからメッセージを書いてもらって、卒業式で仰げば尊しを歌って。当たり前のように卒業式が終わり家に帰りました。『疲れた〜』ってソファーに座ってテレビをつけるとどこのチャンネルもわけのわからない映像ばかり。人や車、そして家までもが流され、ニュースキャスターもヘルメットを被り。何とも言えない状況に、理解が追いつきませんでした。両親と私は唖然。両親はテレビを見てからすぐに電話をかけ東北、関東に住んでいる知り合いへ安否確認をしていました。
 
そして6年間手紙のやり取りをしていたあの子は東日本大震災で命を落としたことを知りました。
 
原因はわかりません。津波かもしれないし、生き埋めになったのかもしれない。今でもわかりません。私の両親はその子の両親から聞いています。けれど何故か今でも私にはどうやって亡くなったのかは教えてくれません。私を悲しませないためなのでしょう。でもその子が亡くなったということを聞いた時はショックのあまり涙もでませんでした。
 
震災からすぐに周りの人たちは募金活動をしたり物資の支援をしたり、一人ひとりが自分の出来ることを考え『東北のために』と一生懸命動いていました。けれど私は思い出したくない、そんなことをあって何も出来ない、むしろなにも出来ない自分にすごく不甲斐なさを感じていました。ニュースや、新聞やメディアからしか情報を入手できませんでしたが被災された方々が避難所生活を送り私には想像もできないほど辛い生活を送られている中、震災という事実から目を背け過去から逃げていたことは今思うと本当にかっこ悪いと感じます。でもあの時の私には目を背け、逃げるという選択しかありませんでした。
 

自分が前に進むために、後押しをしてくれた『マイプロジェクト』

 
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そんな私でしたが自分なりに震災と向き合うようになったきっかけ、それが『マイプロジェクト』でした。
マイプロジェクトってなに?と思う方も多いと思います。マイプロジェクトとは自分の中にある『こうあってほしい』をプロジェクトとして形にしていくものです。すごく大袈裟に言うとマイプロジェクトは今の私の原点です。
 
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昨年の10月にマイプロジェクトスタートアップ合宿@九州カイギという合宿がありました。その時に人生グラフというグラフを書きました。自分の今まで生きてきた人生をマイナス100からプラス100まで数値化して書き表していくものです。そこで気づいたことがひとつ。私は全体的にすごく数字が低くて。ほとんどの出来事がマイナスでした。マイナスになっている理由をよく考えてみると震災からその時まで何か自分の中で心残りがありました。
それは3月11日というあの日から私はなにもできていないということです。それに気づいたのが震災から約5年がたった頃。5年かけてようやく、ここまでくることができました。
 
プロジェクトを行う上で考えることも沢山あり、辛いことや悲しいこと、色んなことが正直の言えばありました。自分と向き合い、過去と向き合い。自分の思いをどう他者にどんな方法で伝えればよいか、周りの人を巻き込むにはどんな方法があるか。短い時間ながらも、試行錯誤しながらプロジェクトを進め、『FD教室』と題した防災教室を地域の小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまでを巻き込んで開催することができました。
 
私の思いはひとつです。大切な人を守りたい、そして同じ悲しみを繰り返したくない。
 
今日まで活動をさせていただき、私自身マイプロジェクトと出会い大きく成長しました。過去と向き合うことって正直すごく辛くて苦しいことです。けれど何かきっかけがないと自分では動き出せなかったし、何よりも周りの支えがあったからこそ乗り越えることができました。
 

逃げなかったのはたくさんの人からの応援があったから。

 
きついな。とふと思った時に「どうしたの?」って一言声をかけてくれる人がいるだけでも私の中では心の支えとなります。何よりもプロジェクトにご協力を頂いた方々、関わってくださった方々、参加してくださった方々からの『がんばれ!』という一言がすごく嬉しかったです。私はこれからもプロジェクトを後輩に受け継ぎ継続していきます。
 
また、マイプロジェクトに出会ってから、自分で懸命にアクションを起こしていっているといつの間にか何事にも積極的になり、自分なりに楽しめるようになりました。
 
毎日がワクワクしています。3月にはマイプロジェクトアワードという全国大会に進み、プロジェクトのことについてたくさんの方々の前でプレゼンテーションをさせて頂き私の『今の気持ち』というものを語らせて頂きました。その他にも全国高校生未来会議や青少年赤十字全国スタディーセンター、カタリ場など様々なイベントに参加させて頂いています。
 
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最近ではTABIPPO(たびっぽ)という団体に入りました。ざっくりというと『旅』の魅力を伝える団体です。福岡には約60名のスタッフがいます。全員がキラキラと輝いていてそこにいるだけでも元気をもらえるような所です。メンバーのほとんどが大学生で正直気を引けるとこも最初はありましたが、1人のスタッフとして接して下さり、学校や普段の生活とは違う環境でたくさん学ばせて頂いています。今は来年の1月4日のイベントに向けミーティングを何度も重ねながら良いものを作り上げていけるよう日々努力しています。
 
私の尊敬する方から教えて頂いたことですが『頼ることも才能でもあり能力』です。やりたいことがあるけどな〜って迷うことがあるならば一言誰かに相談してみるといいかなと思います。迷う時間がもったいないです!私は自分の弱みを見せ、頼ることでたくさんの方々に支えて頂き今の自分がいます。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 
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これからも自分なりのやり方で、自分なりの方法で時間はかかるかもしれません。しかし挑戦する気持ちを忘れず前を向いてこれからの未来を自分の手で切り開いていきます。
では最後にひとつ。私の好きな言葉を。ジョージ・エリオットの言葉です。
「なりたかった自分になるのに遅すぎるということはない」
 
私の話を読んで少しでも1歩を踏み出そうと思って下さったら幸いです。私はこの言葉を信じ踏み出しました。みなさんも1歩勇気を踏み出し、動き出してみてはいかがですか?

ゆりっぺ(寄稿者)