アマモ再生にかけた思いをつなぐ、全国アマモサミット2016開催

2016年7月15日

アマモとは、甘藻と漢字で書きますが、藻類ではなく海中に生える種子植物です。
またお米と同じイネ科で、花も咲かせます。
私は日生のさまざまな世代の人をつなぐ場所の一つは「畑」と考えています。
そこで、日生でしか出来ない野菜を作りたいと思い、日生のアマモと牡蠣の殻を肥料に使う「あまvege」を考案しました。現在中学生と高校生を中心に日生の中高年との交流の輪を広げ中です。
 
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第9回全国アマモサミット2016 in備前が6月3日〜6月5日に開催されました。
全国アマモサミットとはアマモ場の恵みを様々な視点から改めて見直し、このような活動の輪を全国に広げるべく、有識者による基調講演やパネルディスカッションを行うものです。
2016年の開催は私の活動フィールドである日生の開催でした。中学生が演劇をしたり、日生の住民の方々の参加により町ぐるみでの交流ができました。
 
今回のアマモサミットで私がしたことは3つです。
1つ目アマモに対する日生の漁師さんの思いを知ったこと。
2つ目日生婦人会の方々と一緒に調理販売ができたこと。
3つ目あまVegeと日生の人への自分の思いを語れたこと。
 

アマモと日生、アマモ再生に懸けた漁師の思い。

 
私は今までアマモを使うことについて勘違いをしていました。
日生にとってゴミである、流れ藻を使っていて、なんてエコでいい循環が叶っているのだろうというのが今までの私でした。
しかし今回のアマモサミットで気づいた勘違いはアマモがあること自体が奇跡だということです。
全国にアマモが大量に生えている地域がほとんどないなか、日生にはある。
これは30年以上もの月日のなかで漁師さんが積み重ねた努力によってなりたっていました。
約30年前日生は魚の漁獲量が下がった時期がありました。
魚が獲れず、お金にならないため、もう漁師をやめようと嘆く漁師が増えていました。
そんな時、ある一人の漁師はアマモがなくなったことが、魚が獲れなくなった原因だと考えます。はじめは半信半疑でしたが徐々に協力する漁師も増えてき、専門家を交え、様々の方法で少しずつ回復していきました。しかし、大きな台風で回復していた藻場がほとんど流されて、時を同じくしてアマモ再生の考案者で漁業組合長になった漁師が亡くなりました。漁業組合長の意思を継ぎ、絶対に復活させるぞと意気込んだ地元の漁師の努力によって今のアマモがあります。たとえ流れ藻だろうと、アマモを使わせていただけるだけで感謝しなければならない。自分の活動は日生の漁師さんの努力の上にある活動なのだと思い知りました。今までの自分が恥ずかしいです。これからはアマモへの感謝を忘れずに自分の活動をやっていきたいと考えています。
 

原点へのこだわり、日生婦人会との協力

 
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私がこの活動を始めたきっかけは幼少期に私を可愛がってくれた日生婦人会の方々ともう一度なにか一緒にやりたいという思いからでした。
あの時間を日生でもう一度という思いが私を突き動かしています。
今回のアマモサミットでは、私達が作ったあまVegeを使って婦人会の方と弁当を作りました。
みんなで協力して作った鰆寿司はアマモサミットの来場客に提供させていただきました。
自分の目指していたものを垣間見ることができた瞬間でした。
そしてこの空間が私にとって一番居心地の良いものだということを再確認しました。
次はあまVegeを通してこの空間を日生の子供にも味わってもらうという目標の再確認もできました。
 

あまVegeと日生、これから目指すもの。

 
今回は日生での高校生の活動として、発表させていただく時間を設けていただきました。
日生の人に自分の日生に対する思いを語るという貴重な場をいただき、緊張は最高潮でした。
発表準備を重ね当日を迎えましたが、自分の勘違いや一番伝えたい婦人会の方々のことを考えると、はじめから見直し言葉ばかりのプレゼンに。それでも、あまVege祭を開きたいと言う夢を語る私に精一杯の拍手を送ってくださる日生の方々と一体になった時間は次のアクションまでのエネルギーとなりました。
私が考える、次のアクションは3つです。
(1)日生で畑を持っている方と交渉し、あまVegeの肥料を持って畑に手伝いに行かせていただくこと。
(2)日生にある耕作放棄地を開拓することです。
(3)「あまvege祭」を開催することです。
これから一緒に活動してくれる仲間を増やしていきたいです。