初めまして、田中理保です。私は高校1年生の冬から10ヶ月間、オーストラリアのメルボルンに留学していました。
長期の留学は私にとって初めてで、もちろん海外で暮らすということも初めてでした。そんな中、私が一番留学中に大変だったと感じたこと、それは友達を作ることです。言葉の壁や、性格の問題などいろいろな要因がそこにはあったのではないかと思いますが、一番の要因だったのではないかと思うのはメルボルンという環境です。
多様性のまち・メルボルン
私はメルボルンが好きだし、メルボルンに留学に行くことができてよかったと思います。ただ友達を作るにはなかなか大変な環境だったように思います。メルボルンは多くの住みやすい都市ランキングで1位を多くとっている人気の都市です。そのためたくさんの移民が集まっています。中国、インド、ギリシャなど、など。町で人を見かけたとしても、その人が観光客かどうかは分からないし、英語が話せるかどうかもわかりません。そのような状況は移民を多く受け入れているオーストラリアでは当たり前あるあるなのかもしれませんが、当然大都市になればなるほど人種の多様化、文化の多様化は進みます。
予想以上に難しい、現地に馴染むということ
私は現地の公立女子校に入りました。初めの1週間ほどは同じ学校に通うホストシスターのに面倒を見てもらっていましたが、いよいよ自力で友達を作らなければならない時期がやってきますした。学校には当たり前のように英語を第一言語として話すアジア人がたくさんいますし、中国語を話している中国からのインターナショナル生徒もいます。初め、私は勇気を出して6人ほどのグループに入ることができました。しかし、そのグループに入って1か月、2か月、そして3か月経っても、まったく会話に参加することができませんでした。彼らは少なくとも4年間以上の付き合いがありお互いをすでに知り尽くしている状況だったのも理由の一つとしてあったかもしれません。その3か月の間月はとても悩みました。会話に入れない自分に自己嫌悪に陥ったり、全然話しかけてくれない友達にイラついたり。このままでは一番の目的である英語が伸びないと思い、思い切ってグループを変えてみることを決意しますことにしました。考えすぎな性格もあったかもしれませんが、自分から入れてと言って入ったはぃったグループに何も言わずに出ていくのは少し気が引けましたが、何も言わずに違うグループへと移動しました。新しいグループは日本語を勉強している中国系の子とギリシャのバックグラウンドを持つ子と同じクラスでとても私に親切にしてくれている子の3人のグループでした。日本語を学んでいる子が積極的に話しかけてくれたり、日本語の分からないところを聞いてきてくれたりしました。徐々にギリシャのバックグラウンドを持つ子とも仲良くなり、毎日のランチタイムがとても楽しく充実したものとなりました。
成功、失敗は自分のものさしで決めればいい
ある子は私のことを、オーストラリアに移民で来たと思っていたり、中国語が話せると思っていたり。メルボルンでの私はなにも特別ではありませんでした。アジア人は全くもって珍しいものでもありません。そこにあるのは、ないし、英語が話せる前提での生活でした。どのお店に行っても私が英語を話せないとは店員さんは思いません。これはメルボルンへ留学するメリットであり、デメリットでもあります。
留学は一概に成功、失敗と決めつけられるものではありません。私の留学経験はほかの人からはお金の無駄遣いや有意義に過ごせていないと評価とされるかもしれません。しかし私は最終的に少ないとしても素晴らしい友達を作ることができたし、素晴らしい経験をすることができたメルボルンという都市でできたと思っています。
私は人と比較しがちな性格ですが、今回の留学では誰に何を言われても自分にしか経験することができなかった自分だけの特別な思い出であり財産として胸を張って過ごすことができます。
留学はだんだんと身近なものになってきていますが、まだまだ誰もができるものではありません。もしこのコラムを読んだ方の中で留学にこれから行くという方は、これから大変なことがたくさんあるかもしれませんが、後から振り返ったら必ず素晴らしい経験になっていると思います。なので辛い思いをしたとしても決して諦めずに、一日一日を全力で過ごしてください。