生まれた国によって変わってしまう幸せのかたち。

2016年11月25日

私は今年の7月にカンボジアのスタディーツアーに参加しました。 
そこで学んだことを今回はお話ししたいと思います。
 

カンボジアが抱える問題

 
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カンボジアと聞くと、内戦があったことを思い出す人が多いのではないでしょうか。今もその内戦の影響で貧しい暮らしをしている人が多い国です。私はカンボジアを訪れて実態を目の当たりにしました。アンコールワットを観光し移動のためにバスへ乗り込む際、物乞いをしている5歳くらいの女の子を見かけました。絵葉書を持っていて1ドルで買ってと、言葉は分かりませんでしたが多分そう言っていたのだと思います。私は1ドルなら…、と買おうとしました。すると現地のガイドさんから「買ってあげてもいいけどきりがなくなるよ。」と言われました。気づいたら周りには物乞いの子供たちが集まり、自分の絵葉書も買ってくれと訴えています。さすがに全員から買うお金もありません、だからといって誰か1人の子から買うのもかわいそうだと思ったので仕方なくバスに乗り込みました。バスが発車しようとしてもなかなか離れてくれず、なんだか切なくなりました。私はどうすればよかったのだろう、あの子たちのために何ができるのだろうと自分の無力さに悲しくなりました。日本で物乞いをしている子どもを見たことはありません。でもカンボジアではそれが普通だと知り、自分が育ってきた環境がいかに恵まれていることを感じさせられた瞬間でした。
 

同年代の女性が働く職場へ

 
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カンボジアでは日本人の方が立ち上げたNPO「かものはしプロジェクト」の工場見学へ訪れました。「かものはしプロジェクト」は親に仕事がないため売られてしまう子どもをなくすことを目的に立ち上げられたNPOです。カンボジアは教育制度が十分に整っておらず、学校に通うことができないためコミュニケーションを上手くとることができない、読み書きができない子どもも多いそうです。そのため教育を含めた心の成長の支援も行っています。主な仕事はい草を使ったお土産づくりです。プロジェクトを立ち上げた方からお話を伺ったところ、文化や言語が違うところで一から新しいことを教えるのはとても大変だったとおっしゃっていました。実際に工場の中をみてみると、私が想像していたよりも雰囲気が明るく、女性の方々が生き生きと働いていました。工場の中には託児所もあり働きやすい環境づくりがなされていました。帰りにここで作られたお土産を買うことができました。「貧しい人が作っているから、という理由だけではなく、単純にデザイン性が高いから、ものが良いから欲しい、と思って買ってもらいたい。」と職員の方はおっしゃっていました。
 

国が違うだけで

 
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この工場で実際に働いている同い年の女の子の家庭を訪問するために、バスを降りた瞬間、私は衝撃を受けました。彼女の家は高床式の小さな家。家の中は、雨漏りがし、家具もありません。電気も水も通っておらず、必要な水は井戸から汲んでいました。私は自分がここで暮らすことを想像できませんでした。彼女のお父さんは彼女が12歳のときに病気で亡くなっていて、お母さんは体が弱いため働くことができません。そのような状況で、彼女は学校を辞めて働くことを決めたそうです。同年代の女の子が学校に行かず家族のために働いている現実にとても複雑な気持ちになりました。私たちはきれいな服を着て、贅沢な暮らしをしている。そんな私たちは彼女の目にはどのように映っているのだろう。もし私が逆の立場だったら、理不尽だと感じてしまうことでしょう。そう考えると怖くて、私は彼女に聞くことができませんでした。現地のガイドさんを通して「仕事は大変ですか。」と聞いたところ「そんなに大変だと思ったことはない。職場に行ったら仲間がいるし、話を聞いてもらえる場があるのが嬉しい。でも、できるならまた学校に行って勉強をしたい。」と言っていました。最後に投げかけた「将来の夢はなんですか。」という質問に対して「将来のことはまだ考えていない、分からない。」と言っていたことに私は考えさせられてしまいました。きっと今を生きることに精一杯な彼女。だからこそ、このような答えが返ってきたのだと思います。生まれた場所が違うだけでこんなにも環境が違っていることに不平等だと感じるとともに、少しでもこのような状況を変えたいと思うものの、無力な自分に一体何ができるのかまだ分かりません。
 

笑顔溢れる孤児院

 
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旅の途中ではカンボジアの孤児院を訪れる機会にも恵まれました。孤児院の中は想像以上に広く、勉強をする教室や寝る部屋など、いくつかの建物に別れており、子どもたちのことを考えた空間になっていました。この孤児院では幼稚園生ぐらいの子から高校生まで様々な年齢の子供たちが暮らしています。私は日本から持ってきたリコーダーを子供たちに教えてあげました。「ちょうちょ」の曲を教えてあげると、子どもたちはとても真剣に私の指使いを見て何度も真似をして、習得しようとしてくれます。その様子を見ると、とても嬉しい思いになりました。子どもたちは本当に興味津々で一生懸命で、限られた時間の中で少しでもリコーダーの指使いを身につけようとしてくれます。私たちは今の時代、分からないことがあったらすぐにスマホで調べるという癖がついてしまっていますが、ここにいる子どもたちはスマホなんて持っていません。だからこそ学べる時間を真剣に一生懸命すごしているのではないかと感じました。想像と違い、明るい空間で子どもは教育を受けることができ、先生と友達と暮らすことができる環境が整っていました。子どもの溢れる笑顔がとても印象的でした。
 

私にできること

 
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貧しくて学校に通えないが家族と一緒に働きながら暮らすことと、親はいないけれど勉強ができて友達と先生と一緒に暮らすこと、どちらが幸せなのでしょう。私は学校に通うことができ、友達と遊び、家に帰ったらご飯が用意されています。家に帰れば家族が待っていてくれている環境です。そんな環境が当たり前すぎて、当たり前だとすら感じたこともありませんでした。しかし、世界にはこれが当たり前ではない子どもたちがたくさんいます。「教育を受けることができる」ことの幸せと大切さを実感しました。カンボジアの子供たちにも十分な教育制度を整えてあげてほしいと思います。
ツアーを終えてカンボジアのために何かできることはないのか、私は考えました。はっきり言ってしまうと高校生の自分が直接カンボジアに対して働きかけることは難しいと思います。これはツアーに行く前よりもはっきりと突きつけられたように思いました。私たちが現地のガイドさんにできることはありますか、と聞いたとき、まずは身近な人に話してほしい、このカンボジアの現状を知ってくれるだけでも嬉しいと言ってくれました。この言葉は福島に訪れた際にも被災された方から言われたことと同じものです。これが本当に些細なことですが、私が記事を書こうと思ったきっかけです。少しでも多くの人にカンボジアの現状が伝われば嬉しいです。

ゆき

さき

音楽と料理が好きです!もっと積極的になれるように頑張ります‼