福島を訪れて

2016年9月27日

今回ツアーに参加した理由はメディアを通した情報ではなく福島で現地の人の声を聴きたかったため参加しました。自己紹介の時にみんなこのことを言っていてああ、こう感じていたのは私だけではなかったんだなと思いました。みんなの目的が似たようなところにあったからか話し合いで分かり合えるところも多く、一層深い話し合いになったと思います。
まず、今回強く感じた事は状況を体験している方の話は重さが違うということです。私が想像していたのと重なっている部分もあったのですがそこには体験した人の感情が含まれていて、事実としてはメディアで聞いた事があることでも実際に聞くと全く違ってすごくリアルに感じられました。
 
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横山さんの話では実際に浪江町をまわりながらお話を聞けたことで今ではまっさらな何もない土地に多くの住宅があったこと、小学校の以前の様子が本当に見えてきて今更なのですが本当に人がいるところに起こってしまった震災なんだ、と思いました。
 
その日の夜には大善さんから風評被害の実態やそれにむけた取り組みを聞きました。私は関東圏に住んでいるのでどうしてもメディアを通した情報が多くそれに頼ってしまっていた部分があります。福島の野菜や食べ物に少し抵抗があったのも事実です。しかし大善さん話や2日目にいった半谷さんのお話を聞いて安全に証拠や実証があるものだと感じました。そこで疑問に思うことはではなぜ私達のまわりではこんなに騒がれているだろう、ということです。確かな数値という証拠があるのに放射能だ、汚染だと言われては福島の人はなにもできなくなってしまうと思いました。
 
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しかし、私も行くまではその偏見があった一人です。情報として仕入れてもメディアに惑わされない、本当の情報が欲しいとかいってるくせに福島のものを食べるのには抵抗を感じていました。でもアグリパークでトマトを食べたとき、噂も抵抗もなにも考えずただおいしいと思いました。無理にそう思い込んだわけでもなくここが福島って言う事を忘れていたんです。福島のものだ、とも思わないし数値の話も全部聞いた後だったので汚染についても何も抵抗を感じませんでした。
 
震災後、福島は”Fukushima”として世界に知られ日本のなかでも特殊な位置に立ったと思います。震災の被害にあった宮城、岩手に比べて原発が影響し復興という言葉はあんまり大きく耳にしません。そのせいか私の中で「福島」っていうものがどんどん大きく感じられていたのですが、今回実際にいってみてすごくいい意味で普通のところだなと感じました。私の住んでいるところとなんにも変わらず特殊な所なんてない。過度にかわいそうなところ、と思う訳でもなくすごいきれいなところだったという訳でもないのです。でもそんな普通のいつもとかわらない地元がなくなったとき、やっぱりすごく悲しいし帰りたいと思います。久米さんのお話を聞いたときそう思いました。自分の家じゃないから料理も洗濯もする気がおきない、小高に帰りたいと感じたという言葉がすごくリアルで私の中で残っていて以前と変わらない生活をしている自分が震災を理解する事の難しさを感じました。
 
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しかし今回ツアーに参加したことで私の考えは最初とは大きくかわったと思います。ツアーの話し合いのなかで二転三転しましたが現地の言葉を聞いた私の考えはなにも知らなかった前の私とは違います。でもまだまだ話していない方も沢山いるのでもっと知りたいと思いました。これから四転五転するかもしれません。でもそれはもっと福島を知れたっていうことだし私も今の考えを最終結論にはしたくありません。これから先もっと足をはこんで沢山の情報を吸収したいと思っています。
 
そして今回学んだ現地の言葉で情報を得ること、そしていろんな方面から物事を見て多くの視野を持つということを大切にしたいです。