こんにちは。福島県立安積高校新聞委員会委員長を務める、同校2年の山田耕太郎です。安積高校は明治17年(1884年)に創立され、今年度で131年目を迎えます。明治期に建てられた鹿鳴館風の旧校舎は重要文化財に指定されており、現在は安積歴史博物館として姿を残している他、ドラマのロケ地などとしても活用されています。
☞この記事は2016年1月1日に公開された記事を再掲したものです。
安積高校新聞員会は昭和24年7月10日に第1号が発行され、昨年の12月18日発行の号をもって203号を数えます。ブラケット版の「安積高校新聞」を年4回、A4サイズの速報紙「安積通信」を年10回発行しています。紙面では毎号、震災特集を組んでいる他、12月発行の最新号ではマイナンバーを特集するなど社会面にも多くの紙面を割いているのが特徴です。
私は、18歳選挙権の成立を心から歓迎します。
若者が有権者としての意識を早くから養えるのは大変喜ばしいことです。
まず初めに新たな有権者となる大学生や高校生の意識の具合を見てみましょう。
今回は、高校生・大学生のリアルな声を聞きたいと考え、多くの高校生が利用するSNS「Twitter」でアンケート調査を行いました。(期間は2015年12月25日18:49~2015年12月26日18:49までの24時間)結果は157人からの回答が集まり、61%が投票に行く、22%が投票に行かない、17%がわからないという答え。投票に行く理由としては「年金が心配」「消費税が気になる」という声が見られます。行かない理由としては「面倒だ」「自分の1票は政治に影響しない」などが見受けられます。夏の参議院選挙は盛り上がりを見せており、投票率は高くなると考えています。
(期間は2015年12月25日18:49~2015年12月26日18:49までの24時間)
アンケートから見えてきた、「べき論」ではない政治との関わり方
しかし、答えた理由の聞き込みを行っていくなかで、震災後の政治への不信感から投票に行く人や、とりあえず周りが投票に行くべきだと言うから行く人、投票しても無意味、面倒だなど興味がない人がいることがわかります。
消極的に投票に行く若者が、18歳選挙権成立の先に期待されている未来を作り出していけるのかという不安を私は感じます。メディアで若者は積極的に政治に関わっていくべきだなどという「べき論」が先行していますが、その若者たちが主体的に政治に参画していくようになるためには、置き去りにされている問題に目を向ける必要があるのではないでしょうか。
1つ目が、文科省の「高校生の政治活動」に関する通知です。文科省は10月、全国各地の教育委員会に「高校生の政治活動」に関する通知を出しました。この通知は、高校生の政治活動を認めた一方で、学業に支障が出たり、暴力的になったりした場合、学校は高校生の政治活動を制限、禁止できるとしています。通知には、「学業に支障が出たり、暴力的になったりした場合、学校は高校生の政治活動を制限、禁止できるとしている。」とあるが、解釈はいくらでも可能であり、教員の裁量次第であるようにとることも可能です。
2014年9月末から起こった香港の雨傘革命においても大学生の黄之鋒がリーダーとして10代の学生をまとめ、彼らが中心となって大きなムーブメントが巻き起こりました。日本では、2015年夏、日本中を巻き込んだ安保法案反対運動において、大学生が中心となったSEALDsが運動を活発なものへとしていきます。一方で、「T-ns Sowl」なる高校生による安保法案反対を主張する組織も生まれ、実際に若者の集まる渋谷や原宿などでデモ行進を行いました。この文科省の通知はそのような象徴となる存在を摘んでしまいかねないと感じます。この通知は、民主主義を学校の中でどう育むかという議論をしたうえ、見直されるべきだと私は考えます。
日本の外の事例を見てみると、校内および校外での政治活動に対して干渉しない姿勢をとる国としては、民主主義先進国のスウェーデンが有名です。スウェーデンでは、校外での政治活動は生徒の判断のもとで関与する必要はないとしており、校内での政治活動に対しても同等の姿勢を示しています。日本は、教職員は高校生の政治活動を抑制する方向で指導するように提言がなされている他、「政治的中立」を保ちながらの主権者教育が求められています。しかし、スウェーデンでは、学校教育を通して生徒に民主主義的な価値観を教えることで、能動的な市民を生み出すことを目的としているため、学校に政党を招き、政治的ディベートを行います。非差別の下、民主主義的な価値観に基づいて主権者教育を行っている、それがスウェーデンです。
関連記事:スウェーデンは学校で「政治的中立」をどのようにして保っているのか?
2つ目は被選挙年齢と供託金の2つの選挙制度の問題です。これらが若者の政治参画への足かせとなっています。今回、選挙権は18歳に引き下げられるが、被選挙権年齢は変わりません。被選挙権は現状の制度では衆議院で25歳、参議院で30歳からです。若者が当事者意識を持つことが若者の政治への主体的な参画への重要なカギになるため、この問題も見直されるべきでしょう。
10代に立ちはだかる大きな壁、供託金
みなさんは供託金というものを知っていますか?実は国会議員に立候補するためには多額の供託金と呼ばれる資金が必要です。供託金とは、町村議会議員選挙を除き、選挙に立候補する届け出の際に納入しなくてはならない一定の金額で、選挙において得票数が一定数に達しないと没収されます。これは無責任な立候補の乱立などを防止するための制度です。しかし、供託金は国会議員として立候補する場合、衆議院・参議院の小選挙区で300万円、比例代表では600万円にもなります。これは若者が立候補する際に大きなハードルです。また若者に限らず、一般市民の立候補の壁にもなっているのが現実です。
これらの制度面で、若者に大きな負担を強いるような状態では、若者に政治参画を促してもなかなか前に進まないと考えます。だからこそ、制度面の問題を置き去りにせず、真剣に見直す必要があるのではないでしょうか。
政治の話はタブー?もっと議論をする機会が必要では
最後に、日本に住んでいれば、「政治の話はタブーだ」ということは必ず感じたことがあるのでは?私には、政治参画を促す大人と、大人によって政治について議論できない子どもという大きな矛盾が生じているように見える。そんな「政治の話はタブーだ」という空気が政治離れを助長しています。そして、これは一つの勘違いから来ていると考えています。それは、「議論は一致しなければならない」という強迫観念です。本来、議論は意見を一致させ、結論を出すことが目的です。しかし、それは絶対ではないはずです。「議論を通して互いの価値観の知り、違いを認識して自分の意見を磨くこと」これこそが議論のもう1つの本質的な意味ではないでしょうか。
もし、多くの日本人が議論に対する認識を改めれば、相手の意見を恐れず自分の意見を述べ、議論が加速し、それを政策立案や立候補と実行へ移せば、選挙権を2人に1人が放棄するような事態にも陥らないと私は考えます。
まずはあなた自身から議論に対する認識を改めてもらえたら、そしてそのきっかけにこの記事がなれば幸いです。