決断からのスタート #特集 #卒業 #コラム

2017年3月29日

「バレーボール部をやめる。」
誰もが、人生の節目において決断をしながら生きている。高校一年生の春、私は「大学受験の勉強に専念するため」という理由でこの決断をした。なにも考えず、時間と気力・体力、お金を注ぎ込み毎日ただひたすらボールを打ち続けていた中学3年間。
 
だが、今振り返るとバレーボールに強い思い入れは私にはなかったと思う。確かに、バレーボールが好きだと感じる瞬間は多々あったものの、その競技へのこだわりや勝利にかける情熱という面においてはチームメイトとの間にギャップがあった。それよりも、「部活というコミュニティーに属している自分」に大きな価値を感じ、部活をしていたのが正直なところだ。
中学時代、私が常に意識していたことといえば「自分は周囲にどのように認知されているのだろうか」ということ。
 
このことに固執するきっかけとなったのは、友人の話から、スポーツ・勉学に長けた「アイドル」的な数人がいる一方、少し目立たないだけで「存在を知らない」とまで言われてしまっている人たちがいるという現実を知った時だった。
私は、周囲に認知してもらうための、シグナルのような「なにか」を持つことに必要性を感じ始めていった。そしてそれを「バレーボール部に所属している」という肩書きに見出すようになっていた。
たとえ私のことを深く知らない人の中にも、比較的校内知名度の高い「バレー部」というフィルターを通し、「自分の存在を留めておける」という安心感に似た思いを抱いていたのだ。
 

高校卒業と同時に決めた、「肩書き」にすがらない生き方

 

IMG_7132

 
私の学校生活において、アイデンティティーを保持するための「命綱」だった部活。
それを、高校入学と同時に自ら失うことを選んだ。
当初は前向きに決断したつもりだったものの、高校生活が始まると予想以上に自分を苦しめることになる。
 
「勉強に専念する」と言って部活を去ったが、周囲が驚くような成績を取れるようになったわけでも、テストで学年1位をとれたわけでもない。中途半端な自分自身を、これまでの「バレー部」に変わって端的に表現してくれる冠はなかったのである。
今までは、その部活にいるだけで、無条件に他者から認知され、それが自己肯定感にもつながっていたからこそ、そこから抜けた瞬間に虚無感と不安が溢れ出した。自分の個としての未熟さとともに、今まで自分が集団に、非常に依存していたことを痛感した瞬間だった。
 

憧れは母、「自分に一生ものの付加価値をつける」

 

IMG_5366

 
自分自身に価値を作り出すことの大切さを見失い、肩書きにすがることしかできなかったそんな自分。それを変えたのは、士業を営む母の姿であった。組織に所属せず、事務所を立ち上げ、時代と共に変化していく法律に対し学びを止めずに、高い専門性や経験を武器に働く母。それは「個としての輝き」を放っている自分の憧れの女性だった。
幼い頃からその姿勢は見てきたつもりであったが、ここまで母の姿に影響を受け、自分を省みることはなかった。「自分に一生ものの付加価値をつけなさい。」という彼女の口癖が、この時だけやけに胸にささった。
 
所属や肩書きなど、一定の時が過ぎれば廃れうるものに依存することではなく、自分自身を高め続けることが本来の自信や価値につながる。高校時代の苦い経験が、このことに気づくきっかけへと私を導き、いまこうして学びとなって自分に還元されている。
これから大学に進学し、また一つ社会へと駒を進めていく中で非常にセンシティブな高校時代に感じとったこの気づきだけは、ずっと心に留めておきたい。
そして、自分を大切に挑戦しつづけていきたいと強く思う。

成蹊高等学校を3月に卒業し、4月より慶應義塾大学法学部政治学科に進学予定。
高校3年次にアメリカへの一年間の交換留学を経験し、留学体験記を同サイトに執筆。