5年前の町、5年後の人

2016年9月20日

3月28日―29日、私は福島の3.11の被災地を見学するツアーに行ってきた。なぜ私がこのツアーに参加したかというと、ニュースや国内の課題などに興味がないからだ。そんな私でも、このツアーをきっかけに社会に関心を持てるかもしれないと思った。
 
早速バスに乗り、住宅街を抜け、気づくとそこには砂漠のようになにもない土地が広がっていた。600軒の家があった土地にはみごとに更地になっており、あるとしても汚染土の入った袋と寄せ集められたがれきだけ。私はかつてこの場所で600世帯の生活が営まれていたことなど想像できなかった。
 
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しかし、その後、流されずに残った小学校の廃墟や浪江駅周辺を訪れるとだんだんと津波に襲われた現実感が増してきた。小学校の校舎には津波が来た時の爪痕がそのまま残り、地震の影響によりへこんでしまった体育館の床に落ちたボール、2011年の3月から更新されていない学級目標、まさについさっきまで子供たちの学校生活がそこにあったように思えた。浪江駅周辺にあった、五年前からずっと建物が斜めにゆがんだ状態の酒屋、バスから見えた人のいない店にある「営業中」と書かれた看板。5年前から人がおらず5年前の状態で時が止まっているようで、ただただ虚無感だけを感じた。
だが、2011年の3月から変わらない建物、風景がそこにある一方で、福島の人々の心は変わっているように感じた。
 
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一日目には現地の役所で働く横山さんのお話を聞いた。横山さんは福島の復興のために日々仕事をしていて、辛かったり逃げたいと思うこともあるけれど、被災者の方に感謝の言葉をもらうとやっていてよかったと思うと言う。
 
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2日目に会ったのは小高区に住む主婦の久米さん。久米さんは避難指示区域圏内に自宅があり、元の生活から離れなければならないことに納得がいかず、東電としばらく対立をしたり、避難所区域の自宅に強引に帰宅していたこともある。「原発反対を主張する活動もしていたけれど、一般の主婦の話なんて誰も聞いてくれないからもうやめたの。私は子供や孫が健康ならそれで充分幸せ。」そう語る久米さんの笑顔からは悔しさやあきらめが滲み出ているようでなんだか切ない。
 
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2日目にお会いしたもう一人、半谷栄寿さんはまちおこしのために、福島産の野菜を高校生の編集する冊子と共に売っている実業家だ。半谷さんが約2時間にも及んで話してくれた目標を達成するためのノウハウは、私の中で強烈に印象に残っている。そのノウハウは一見被災とは少し離れた雑談のように聞こえるのだが、私たちが精力的に活動していくのに必要な要素や、私が東北にいた2日間で出会った、復興を目指す人々に共通する部が多く含まれている。半谷さんは野菜作りをはじめる際に、トマトを選んだ。なぜなら日本人のトマトの消費量は他国に比べてかなり低かったからだ。普通であれば売れる野菜を作ろうとするところだが、彼は遅れをとっているということは伸びしろがあるということだ と考えトマトづくりをはじめたという。
 
また、彼が成功する上で大切だと思うこと、それは人を巻き込んでいく力だ。そのためには信頼を得て、愛されることが必要。そして信頼を得るためには七転び八起きして、あきらめずに、ひたむきに物事に取り組むこと、たとえうまくいかなくても失敗は強烈な学びであると考える態勢が大切だと語っていた。あくまでビジネスを通した話として半谷さんは話していたが、これは私たちの生活や復興にむけての意気込みとして必要なことなのではないだろうか。地震の被害による失敗を強烈な学びととらえることは大切だとお思う。1日目に会った横山さんもこの要素を満たしているのだろう。辛いときを乗り越えながら頑張る姿がきっと被災者からの信頼を買っているのだと私は思った。
 
もう1つ半谷メソッドとして興味深いものがある。それは”カフェオレの法則”というもの。半谷さんは店に入り、コーヒーはいかがですか、と尋ねられた際、自分の好物であるカフェオレにできないか、と頼み、断られるとその店にはもう行かないそうだ。つまりなにが言いたいかというと、いかに自分自身に軸を置くか、相手に気を使い自分を曲げたり妥協するなということだ。このカフェオレの法則を聞き、私は久米さんを思い出した。一見自己中心的に考えられるが、社会に流されずに自分の意見を貫こうとする久米さんの姿は確かにエネルギッシュで、熱意に溢れていて魅力的だと思う。半谷さんの教えは、復興を目指す人々、復興に限らず野心を持っている人についてを語っているように思えた。
 
福島の、空虚な土地にいる、熱意をもった人々は対象的でとても印象深かった。建物は流されても情熱は流されずそこにあるように思える。このツアーを通し主体性をもった生き方はなんて素敵なのだろうと実感できた。
 
まだ被災地になにができるかはわからないけれど、私たちが現状を知るだけでもそれは復興の一歩につながると思う。私のように社会に関心の薄い若者は少なくないだろう。今必要なのは情報を享受するだけのニュースではなく、それを受けて自分で感じるためのドキュメンタリーやドラマなのだと思う。

セナ

映画と音楽とファッションと食べ物がすきです