福島の旅の1日目について

2016年9月9日

1日目は浪江町へ。浪江インターチェンジを降りると家々の前には柵が設置されていて、そこに広がるのはよくテレビで見るような風景だった。その後浪江市役所の中に入ったら、福島の放射線量が示されているパネルや放射線に関する冊子などが置いてあって町は復興に向けて一直線だなと感じ、同時に特に放射線と戦っているのだなと思った。
 
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そして浪江町役場の横山さんをバスに乗せ沿岸部に向かった。沿岸部の津波の被害があった場所は、残っている家何軒かを除いては完全に更地で震災前そこに何があったかわからないようなほどだった。横山さんはここには600戸くらいの家があったとおっしゃっていたのが嘘のように思えた。
海からさほど離れていないところに請戸小学校という小学校がありここは校舎の一階が津波に飲み込まれていた。これほど津波の爪痕が残っているところをテレビ以外では初めて見たのでとても衝撃的だった。窓のフレームはぐちゃぐちゃになっていたし、配線が上から垂れていた。
 
小学校の二階からは福島第一原発が見えていて非現実的な空間に思えたが下駄箱には震災前にいた小学生の名前が書かれたシールが張ってあって現実の場所なんだなと再認識した。小学校を見学した後は浪江町の内陸部を見て回った。町中には放射線を測量する機械がたくさんあり、少し移動しただけでも数値が大幅に変わっていた。また、汚染土を入れた黒い袋が町中にあり、しかも更地だけでなく家の敷地内に置いているところもあって浪江町の方は常に放射線の怖さを感じ、放射線のことを考える生活から離れることができないんじゃないかと思った。しかし、除染作業をしている方々は放射線の数量関係なくマスクとヘルメットだけで作業をしていたのが意外だった。
 
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浪江町内は放射線や津波だけでなく地震の影響も多く受けていた。地震の影響で壁が崩れていた家、傾いていた家がいくつか見つけた。ただ、僕は地震だけではなくその後に何年も立ち入ることができなかったからそのような家があったのではないかと感じた。浪江駅内にあるアイスクーラーは色が緑色になっていたり、信号が錆びていたり、置いてあるバスのタイヤは空気が抜けていたりと何年も手をつけていない空間は初めて見るとても不思議な空間で震災前の元通りにするには大変なことなのではないかと思った。
 
今回の旅では福島のことを全然知らないと気づいた。最初はがっちりとした防護服を着て身に放射線の線量計を身につけて行くのかなと思ってたが全然そんな事はなかった。しかも福島第一原発を見たとき、こんな近いのに普段着でいれるのかと衝撃だった。そして、復興にたくさんの方が関わっているのだなと思った。がれきを焼く施設や砂を運ぶ人、除染作業をする人やゲートで立っている人など見えるだけでもたくさんの人を見て、復興にはまだまだ時間がかかるのに関東では震災の事を考えないで過ごしていることが変なように感じた。だからこれからはもっと福島の情報に敏感になって過ごそうと思う。

りっき

秋田好き人間。